オーストラリア、ニュージーランドに
文科省の教員海外派遣事業で、
教育視察に行ったことがあった。
ニュージーランドでは、たまたま訪問した日が
教員のストライキの日で
訪問先の高校では
待遇改善の要求に多くの教員が参加するため、
学校に残っているのはわずかであった。
校長も、ストライキを支持していて
日本と違って給料や待遇が
十分保証されていないと嘆いていた。
当然、私もお手伝い。
海に日本の季節の行事の話をした。
日本語で言い換えがたくさんできると、
より簡単な単語で表現できるので
思ったよりは楽にコミュニケーションができる。
英語学習は、こんな感じに
ざっくり学ぶ感じで良いのに、と思う。
小学校の視察で、印象深かったのは
支援の必要な子どものための教室に
専門性の高い教師が配置され
スペシャルニーズの対応の時間以外は
どの子も普通のクラスにいる。
どこの教室もそれぞれに違う授業で
日本の教室の風景とは違っていた。
床に直に座って討議をしていたり
子ども同士で何かを作っていたり、
楽しそうだった。
日本のように画一的でないことが
新鮮ではあったが
一方で、誰に対してもある程度の
基礎学力を保証することも大事だということを
再認識もした。
日本式、読み書き算盤、という
社会生活の基本の学力は
とりあえず、
皆に与えておくうえでは
かなり有効だ。
見習うべきは、むしろスペシャルニーズという考え方と、
同じ教室で生活するということ、
専門的な教員が
こうした子どもたちと、
他の教員をサポートするという仕組みである。
一緒に過ごす時間、
空間を大事にしつつ、
様々な運動や知能や情緒の面で
機能訓練や練習を行う
様々な専門的な治験に基づく教育が
丁寧に行われつつ、
日常の交流が、
その子どもの生活の当たり前のこととして
自然に展開されている。
私は特別支援教育の意義を高く評価しているし、
それぞれの課題に応じたサポートが
専門的知見に基づいて行われるべきだと思っているが
日本のようにスペシャルニーズの子どもたちを
集めるのではなく、
スペシャルニーズの子どもの所へ
スペシャリストが出向いて
教員や児童、生徒をサポートすることは
当事者と周りの子どもたちにとって
一番自然なやり方だと思う。
あとは、施設や設備の面で
集中させることの意味もあり
予算や施設の問題と需要や運営の面でも
より良い方向を目指して、仕組みや活用の仕方を考えていけば良いと思う。
保護者も、まずは子どもの現状を
より客観的に把握できるような、
専門家の知見と、心情を理解した助言により
正しい理解と認識によって
適切な教育や機能訓練の環境を考えていけることが
重要だと思う。
いずれにしても、日本では
小人数制ですら確保できず、
教員志願者すら激減しているのでは、
共生も、なにも絵空事になってしまっている。
教員自体が救われることが最重要課題になっているが、
すべては、同じ根っこを持つ
日本の政治の問題だと思っている。